あられ
棋院での一室でヒカルと和谷は休憩していた。
「お前本当に負けねぇよな。」
「当然。こんなところで負けてちゃ上目指せねぇじゃん。」
―――バリ
「言うね。」
―――ガサガソガサ
「最近高段者との手合いも増えたから手応えあるしさ。」
―――パクッ
「俺も頑張んねぇとな・・・ってそれよりよ。」
―――パクッ
「あに?」
「さっきから食べてる、ソレ何?」
―――パクッ
「(もぐもぐ)・・・何って“あられ”だけど。」
「そんなん見てわかるよ。」
「じゃ、聞くなよ。」
―――パクッ
「俺が聞いてんのは、なんで“雛あられ”を食べてるかってことだよ。」
―――パクッ
和谷の言葉に首を傾げながら一定間隔でヒカルは、“あられ”を口に運んでいる。
「なにこれ、“雛あられ”って言うんだ。」
ヒカルが持ち上げたその袋には誰にもわかるであろう雛人形の絵が可愛らしく描かれていた。
そんなヒカルの態度に和谷は、頭を片手で押さえ溜息を吐いた。
『こいつって本当に囲碁のことしか頭にねぇんじゃねぇか。』
「なに、和谷も食べたいの?」
どこをどうとったらそうなるのかヒカルは、自分が手に持つ“あられ”の入った袋を和谷に差し出した。
和谷は、再度溜息を吐きつつヒカルの好意に甘えて“あられ”を取ろうとした・・・が取れなかった。
「進藤。」
名前を呼ばれ振り返ったヒカルの行動で和谷の手は、宙を切った。
「緒方先生。」
ヒカルが振り返ったそこには、白いスーツに身をまとった緒方精次が立っていた。
ツカツカと当然の如くヒカルの隣の席に座る緒方に和谷は、再度溜息を吐く。
なぜだか知らないが緒方は、必ずと言っていい程ヒカルの前に現れる。
緒方程の人とそうそうこの棋院で会うはずがないのにだ。
しかし、和谷が溜息を吐くのはそれだけが理由ではない。
「緒方先生も食べる?」
「いや、それはお前にやった物だからな。お前が全部食べろ。」
「和谷にあげてもいけないの?」
「あぁ。」
話の会話に乱入することは、躊躇われたが和谷は、つい聞いてしまった。
「進藤・・・それって緒方先生に?」
「うん。もらった。」
どうして、なぜに、緒方先生が進藤に雛あられを?和谷は、疑問の目を緒方に向けた。
「和谷・・・とかいったな。」
毎度毎度会う度に名前を確認する辺り和谷は、苦笑するしかない。
「はい。」
「今日が何の日だかは、知ってるな。」
「一応。」
「お祝いだ。」
「はい?」
緒方の言葉に和谷は、素っ頓狂な声をあげてしまった。
そんな和谷の前では、気にする様子も無いヒカルがまだ“あられ”を食べている。
「進藤は、そこら辺の女よりも可愛いからな。」
緒方の台詞に和谷は、固まった。毎度のことながら慣れない。
「緒方先生。」
食べるという行為を止めてヒカルが緒方の方に身体を向けた。
「男が可愛いって言われても嬉しくないって何度言えばいいんですか!」
はっきり言ってしまえばヒカルは、可愛い部類に入るだろう。
青年になってきているとはいえどこか幼さを残す表情は、正に緒方の好みだ。
「ん?可愛いお前に可愛いと言ってどこが悪い。」
しれっとそう発言する辺りこの緒方という男は、一向に周りを気にしない。
そう、和谷が慣れないのは、この二人の睦言の様な会話なのだ。
例えヒカルに自覚はなくとも、傍から見ればもうそれは見事なイチャツキ振りなのだ。
「緒方先生、目が悪いんじゃない。」
ヒカルは、そう言い放ち再度“あられ”を口に含み始めた。
「美味しいか?」
「美味しいよ。」
「俺にも一つくれ。」
「さっきいらないって言ったじゃないですか。」
「気が変わった。」
「はい・・・いぃぃぃぃ!!!」
―――パクッ
和谷は、初めはヒカルの声に驚いたのだがそれよりも驚いたのは緒方の行動であった。
「おが・・おが・・・緒方先生!」
手を引っ込めようとするヒカルの手首を押さえつけ緒方は、ヒカルの手にあった“あられ”を指ごと口に含んだ。
しかも、そこから離す時舌先でヒカルの指先を舐めたのだ。
もう、これは和谷はポカンと口を開けて見ているしかなかった。
「・・・確かに上手いな。」
「緒方先生!」
「どうした、進藤。」
平然としている緒方にヒカルの身体はプルプルと震えている。
『そりゃ、いくらなんでも進藤でも怒るだろう。』
そんな和谷の考えは、次のヒカルの言葉でどこか遠くへ飛ばされた。
「人前で、こんなことしないでっていつも言ってるだろ。」
ヒカルにいたっては、多少なりとも残された敬語が敬語でなくなっていた。
「なんだ、進藤お前・・・感じたのか。」
ニヤリと笑う緒方にヒカルは、信じられないと頬に朱を走らせた。
「バッカじゃない。」
俺帰るとヒカルは、そこから立ち上がった。
「なんだ、図星か。」
意地悪な顔で楽しそうに緒方も立ち上がった。
「なんで緒方先生まで立つのさ。」
「どうせこの後お前暇なんだろ?ちょっとつき合え。」
「やだ。」
ヒカルは、そう言い放ちスタスタと歩き始めた。
「和谷、先に帰るから。」
数歩歩いて和谷といたことを思い出したのか振り返り叫んだ。
「お・・おぉ。」
和谷は、そうとしか答えられず緒方が去った後も一人取り残されたまま少しの間固まっていた。
緒方は、スタスタと歩くヒカルの肩を掴んだ。
「ちょっと待て・・・って・・」
そして、ヒカルの顔を覗き込み自分の口に手を沿えて視線を空中に漂わせた。
「責任とってよね。」
「マジに図星だったのか。」
ヒカルは、棋院の廊下だということも忘れて緒方の胸元辺りのスーツを掴み胸に額を当てた。
「だから、人前ではしないでって言ってるだろ。」
その言葉に緒方は、嬉しさを隠しきれないでいた。
普段の不機嫌を固めたような顔をしている緒方を見慣れている者には信じられないような表情をしていた。
そうして、緒方は速攻でヒカルを自分の自宅へと連れ込んだのであった。
その間も和谷は、固まったままだったとか。
終了
平成16年3月3日