暇 冴木×ヒカル
プロの碁打ちに暇な日などそうない。
それは、進藤ヒカルにも言えることだ。
手合いに指導碁はたまた遠征イベントへの参加もあったりする。
それらをこなして、やっと自分の碁の勉強が出来るのである。
ヒカルは、碁会所にも顔を出している。
主に、『囲碁サロン』に顔を出している。
そこは、塔矢名人の碁会所でアキラがよくいるからだ。
強い相手もしくは同等の相手と戦うのは、すごく刺激になる。
森下研究会にも顔を出している。
ちゃんとした師匠のいないヒカルは、そこで礼儀を教わった。
和谷の家でも研究会が行われている。
そこは、本当に若手や院生が集る場所になっていた。
「送ろうか、進藤。」
そう気軽に声をかけてくれるのは、和谷の兄弟子にあたる冴木だ。
「本当に、じゃ甘えちゃおうかな。」
時々冴木も和谷ん家の研究会に顔を出してくれる。
冴木もプロなのだ、そんな暇ではない。
そんな考えがふとヒカルの頭を過ぎった。
「ん〜、でもいいや。今日は電車で帰る。」
ヒカルの考えがわかるのか、冴木はヒカルの頭を乱暴に掻き混ぜた。
「子供は、遠慮するもんじゃないぞ。明日は、久々のオフだしな。」
「それじゃ、尚更じゃん。」
「ん?」
「早く帰ってゆっくりした方がいいって。」
「明日ゆっくりするからいいんだよ。」
「遠慮なんて進藤らしくないんじゃね。」
横から和谷が口を出してきた。
「なんだよ、それ。俺だって遠慮くらいするんだぜ。」
「まぁ、まぁ、遠慮はいらないから。ほら、送っていくよ。」
冴木に促されてヒカルは、そのまま送ってもらうことになった。
夜の明かりがチカチカと通り過ぎて行く。
「冴木さん。」
「んー。」
「明日何するの?」
「とりあえず、普段できないことかな。」
「洗濯物溜まってるとか?」
「そんなとこだな。」
「それだけ?」
「読みたかった本を読んで、それが終わったらきっと囲碁の勉強だな。」
「結局行き着くとこはそこなんだね。」
「そうだな。」
二人は、苦笑した。
「休みが合えば一緒に遊べるのにね。」
「碁会所巡りとか。」
冗談交じりに冴木がそう返す。
「それもいいけど、俺水族館とか行ってみたいな。」
「いいねぇ。今度休みが合った時行くか。」
「本当に、マジで。」
ヒカルが嬉しそうに冴木の方に振り向いた。
視線を前から外さず、そんなヒカルの雰囲気を感じ取った冴木も笑顔になる。
「本当に、マジだよ。」
それには、まず休みが合わないとね、という言葉も付け加えた。
「それが、問題だよね。」
ヒカルは、シートからズリズリと力なく下に落ちて行く。
「ほら、危ないからちゃんと座ってろよ。」
「は〜い。」
きちんと座りなおしてヒカルは、その日が来るのを思い浮かべ自然と笑みを浮かべた。
「すげぇ、楽しみ。早くその日がくればいいのに。」
まだまだ駆け出しだが、ヒカルの勢いは凄まじい。
人気も急上昇だ。
だから、暇なんてそうそう得られない。
「本当だな。」
そんな話をしている内にヒカルの家に着いた。
「ありがとう、冴木さん。」
「どう致しまして。」
運転席の窓を開けて冴木がヒラヒラと手を振る。
「あ、そうだ。進藤。」
「なに?」
「進藤を送るのが俺の楽しみなんだから奪わないでくれよ。」
その言葉にヒカルは、暫し呆然とした。
「な、なに言ってんのさ。ほら、もう早く帰ってゆっくりしてよ。」
バイバイと手を振るヒカルの頬は、仄かに紅い。
それは、玄関の明かりだけでもはっきりとわかった。
冴木は、にっこりと笑ってその場を後にした。
二人で水族館に行けるのは、いつになることやら。
終了