温もり
―――――パチ・パチ・パチ
一定間隔で小刻みに響く音が不意に止まることがある。
―――――カクン
伊角が顔を上げると同時にヒカルの肘が太股から滑り落ちた。
「寝てないのか?」
「・・・ん〜・・・棋譜並べてて・・・気がついたら朝だったんだよね。」
―――――パチ
目尻を指で擦りながらもヒカルは的確な場所へと打ち込み、伊角を攻める。
伊角が考え込んでいる間、ヒカルはウトウトと船をこいでいる。
―――――パチ
返しの一手がこない。伊角がまた顔を上げてヒカルを見た。
ヒカルの瞼は降りていた。
ヒカルがゆっくりと瞼を上げると目の前には頬杖をついた伊角がいた。
「あっ・・・ごめん。俺の番・・・だよね。」
ヒカルは伊角との碁に集中していないわけではない。
只、その集中よりも眠気の方が今日は勝っているのだ。
「今日はこれで終わりにしよう。」
「もう寝ないから・・・大丈夫だって。」
打とうとするヒカルの手に伊角は自分の手を重ねた。
「駄目だ。それにそんな状態の進藤に勝っても嬉しくもなんともない。」
最後まで打ってみないとわからないが今の時点ではヒカルの優勢なのだが・・・。
「ん〜・・・わかった。」
ヒカルは自分の手に重なっている伊角の手から視線を伊角本人に向けた。
眠気眼がジッと伊角を見つめる。
「・・・しょうがないな。」
そんなヒカルに伊角はクスリと笑って両手をヒカルに差し出した。
「おいで。」
ヒカルはその言葉に引き寄せられるように伊角に近づいた。
立つのが面倒だったのか四つん這いでゆっくりと伊角に近づき伊角の太股に頭を乗せた。
―――――スー
かなり眠たかったのだろう。伊角のお腹の方に顔を向け、ヒカルは瞬時に眠りについた。
伊角がヒカルの前髪をかき上げながらヒカルの顔を覗いた。
―――スースースー
穏やかな寝息を立てながらあどけない寝顔を見せるヒカルに伊角は自然と顔が綻んだ。
碁を打つヒカルと無防備なヒカルはまるで別人である。
そして、伊角は無防備なヒカルを甘やかすの大好きなのだ。
しかも、それは無意識によるものだから性質が悪い。
伊角の手がヒカルの頬を撫でれば、ヒカルは身動ぎながら伊角に擦り寄っている。
そんな仕草が可愛くて仕方がない。
伊角は髪・頬・首・腕そして背中等を順番に撫でていた。
そして、ふと視線に気がつき伊角は顔を上げた。
「何?」
「“何?”っていうか・・・伊角さんが何やってんのさ。」
「あぁ、これ。」
話を進めながらも伊角の手はヒカルの身体を撫でている。
「そう、それ。」
「この部屋寒いから進藤を温めてるんだけど。」
平然とそう答える伊角に和谷は少々呆れ顔だ。
確かに今日の和谷の部屋は寒い。ちょうどストーブの灯油を切らしているのだ。
ちなみに皆は寒いと文句いいながもちゃんと碁は打っている。
そして、和谷同様皆さん呆れ顔だ。
ヒカルだけが伊角の膝の上で穏やかな寝顔を見せていた。
ヒカルが目を覚ました時、枕にしていた膝の持ち主以外周りには誰もいなかった。
ヒカルが目を擦りながら視線を上に向けると伊角と目が合った。
「おはよう、進藤。」
「・・・はよぅ。」
寝ぼけているのかヒカルはゆっくりと上半身を起こし、のそのそと今度は伊角の胸に倒れこんだ。
「まだ、眠い?」
「ん〜・・・こっちの方が温かい。」
どうやらヒカルは寒くて目を覚ましたらしい。
伊角は、ヒカルが寒くないようにヒカルを抱き締めた。
ヒカルは温かさを求め、より伊角に身体を摺り寄せた。
伊角は、そんなヒカルの頬に手を沿え親指の腹の部分でヒカルの頬を撫でた。
「・・ん〜・・・。」
それが気持ち良いのか、ヒカルはその伊角の手の平に引き寄せられるようにその手に重みを乗せた。
伊角が無意識に甘えさせ、ヒカルが無意識に甘える。
そんな状態の二人に呆れて皆は二人を放って帰り、和谷は灯油を買いに出た。
初めはヒカルを起こそうとしたのだが伊角に止められたのだ。
「なんか・・・部屋の温度が上昇してないか。」
これは、玄関を開けた瞬間の和谷の一言である。
「あれぇ・・・和谷どっか行ってたの。」
伊角の胸の中でヒカルがそう呟けば、伊角がニッコリと笑った。
「早かったな。もっとゆっくり買い物してくれば良かったのに。」
その言葉に悪気がない分和谷はおもいっきり後ずさりした。
ストーブに灯油を入れて部屋が暖まりだしても二人はくっついているまんまだ。
「進藤。」
「ん〜。」
和谷は恐る恐るヒカルに問いかけてみた。
「もう、離れても十分温かいと思うんだけど。」
「・・・そうなんだけど。なんか伊角さんの体温が心地良くてさ。」
離れないと駄目?とばかりに進藤が上目遣いで伊角を見ると伊角は優しくヒカルの頭を撫でた。
「俺も進藤の体温が心地良いからこのままでいいよ。」
「本当。」
伊角はヒカルを抱き締めている腕により力を込めた。
ヒカルは嬉しそうにより伊角に擦り寄った。
そんな二人に“もう帰れば”とも言えず、和谷はなんだか自分の家なのにいてはいけないような心境であった。
終了