涙腺

 

 

これはヒカルと永夏の戦いが終了した夜すなわち北斗杯が終了した夜の出来事である。

 

その夜ヒカルは眠れないでいた。

「散歩でもしよう。」

確かこのホテルには日本庭園があったはずだ。

しかも夜はご丁寧にライトアップされている。

ヒカルは永夏との戦いが今の自分のすべてだと思っていた。

勝ちたかった。

負けたくなかった。

だけど永夏は強かった。

「せっかく無理言って大将にしてもらったのにな。」

苦笑しながらヒカルはエレベーターから一歩を踏み出した。

そして何気にホテルの玄関の方を見た。

「・・・あれは。」

見知った顔を見つけヒカルはおもわず小走りで駆け寄った。

玄関口のソファーに座っていたその人は静かにヒカルが近寄って来るのを待った。

もう夜中の十二時もとうに過ぎている。ロビーにはあまり人がいない。

「緒方先生。」

「よぉ進藤。」

緒方は座れとヒカルを促がした。

ヒカルは素直にそれに応じ緒方の隣にゆっくりと座った。

ヒカルが座ると緒方は吸っていた煙草の火を消しヒカルの顔を覗き込み無言で見つめた。

「な・何?」

ヒカルが途惑うように首を傾げると緒方は意地悪く笑った。

「泣いたそうだな。」

その言葉にヒカルの頬が紅く染まっていく。

「だって・・・」

ヒカルの言葉を遮るように緒方はヒカルの頭にポンッと手を乗せて自分に引き寄せた。

「頑張ったな。」

緒方の言葉にヒカルは荒れている心が少し和らいだ気がした。

「・・・負けたんだ。」

「あぁ。」

緒方はヒカルの背中をさすりながらヒカルの目尻に唇を寄せた。

「本当にお前は涙腺がゆるいな。」

その言葉でヒカルは今自分が泣いていることに気がついた。

「男がそう簡単に人前で泣くな。」

涙を舌で舐めとられヒカルはくすぐったさから身を捩るが緒方にしっかりと固定されていて動けない。

「泣くのは俺の前だけにしとけ。」

「何言ってんの・・・。」

呆れているのではなく素直に嬉しくてヒカルは笑顔でそう応えた。

 

 

その二人の様子を遠くから見ている人物がいた。

韓国代表高永夏である。

永夏はヒカルが来る前からずっとロビーにいた。

進藤ヒカルが来るかもしれないという想いがあったのかもしれないしただ眠れなかっただけなのかもしれない。

だがどういう理由で永夏が其処にいたにしろヒカルは現れた。

先刻の涙に濡れた顔が浮かぶ。

ヒカルの実力はまだ永夏には及ばなかった。

しかし少しながら追い詰めることは出来た・・・はずだ。

 

永夏が声をかけようと迷っていた矢先ヒカルは誰かに駆け寄った。

永夏には見せたことがない表情だった。

「なんだあいつあんな表情も出来るんじゃないか。」

自分の目の前で仲良くしている二人を見て永夏は段々とイライラしてきた。

 

 

ヒカルがふと出来た影に顔をあげて驚いた。

「永夏。」

二人に歩み寄り永夏は緒方に抱き締められいるヒカルをジッと見つめた。

「こ・・これはあの。」

ヒカルがしどろもどろで焦る。

[これはこれは高永夏君。こんばんは。]:韓国語

緒方の発した言葉に永夏の眉毛がピクッと動いた。

ヒカルは緒方が韓国語を話せるという事実に驚きを隠せないでいた。

[あなたは確か・・・緒方・・・]

[おや知ってもらえてるなんて光栄だな。]

心にも無いことを緒方は平気で口にした。

二人は表面上笑顔で話しているのがただならぬ雰囲気が辺りに漂っていた。

「え〜っと緒方先生?永夏?」

二人についていけないヒカルの肩を抱き緒方は自分の方へと引き寄せた。

[こいつは俺のだから手を出すなよ。]

いきなりの先制パンチである。

[そうなのか進藤。]

永夏がヒカルにそう問いかけてもヒカルには何を言っているのかさっぱりである。

よくわからないままヒカルは勢いのまま頷いてしまった。

「えっ?・・・う・うん。」

ヒカルが頷いた事により永夏は終始無言で二人を見つめた。

[俺は進藤を気に入った。だから絶対お前から奪ってやる。]

いきなり緒方に人差し指を向け永夏は宣言した。

[やれるもんならやってみな。]

「ん・・・んく・・ぅ」

緒方は不敵な笑みを浮かべ自分が抱き締めているヒカルの唇を塞いだ。

ヒカルが緒方の胸を押すと緒方は素直にヒカルから離れた。

「何すんのさ。永夏もいるのに。」

[進藤。]

立ち上がって緒方に抗議しようとしたヒカルは腕を掴まれ永夏に引き寄せられた。

永夏が自分の腕にヒカルを捕らえようとした寸前のところで緒方が制止した。

 

 

ヒカルを挟んでの緒方と永夏の睨み合いは長い時間続いたという。

 

 

でも結局緒方がヒカルをその場から連れ出し永夏だけが其処に取り残された。

 

[俺は諦めないからな進藤。]

 

 

そんな永夏の気持ちなど知らない進藤は緒方に言った。

「俺あいつ(と打つの)結構好きなんだよね。」

当然打つことだと理解している緒方は意地悪げに返した。

「また泣かされるなよ。お前は涙腺が弱いんだからな。」

「だからあれは・・・」

「なんなら俺が今から鳴かせてやろうか。」

「・・・バカじゃない。」

そう言いつつヒカルは緒方に擦り寄っていた。

 

終了

平成15年6月6日