前日
手合いを終え帰ろうとした伊角の元へヒカルが駆け寄ってきた。
「伊角さ〜ん。」
否駆け寄るというよりもぶつかって来た。
ヒカルは伊角の背中から腰に腕を廻し背中に顔を押し付けながらギュウっと抱きついた。
伊角は両腕を下に降ろし小さく溜息をついた。
「お前ねぇ・・・何度いったらわかるんだ。・・・」
「「いきなりぶつかって来るな。」」
「って何度言え・・ば・・。お前なぁわかってるならぶつかって来るなよ。」
伊角の注意の言葉など無視というか聞こえていないかのようにヒカルは嬉しそうだ。
その笑顔に伊角はついついこの行為をいつも許してしまうのだ。
「で 何の用なんだ。」
伊角は抱きついてきているヒカルをそのままに歩き始めた。
そんなことはいつものことなのか・・・ヒカルも離れる事無く伊角の背中に抱きついたまま歩き始めた。
『こんな進藤を可愛いと想う俺も俺だよな。』
ヒカルは気を使っているのか伊角の踵を踏まないように伊角が右足を前に出せば自分も右足を出していた。
そしてそれに飽きた頃ようやく伊角の背中から離れるのである。
離れた後ヒカルは伊角の横に並びようやく普通に歩き始めるのだ。
「なんで毎回毎回あんなことするかね。」
伊角の言葉にヒカルは顔を下に向け呟いた。
「だって伊角さんの温もりが気持ち良いからさ。」
ヒカルの表情は下を向いていたため伊角には見ることが出来なかったが伊角の目にはしっかり映っていた。
それを言葉にした時のヒカルの耳は朱色に染まっていた。
耳であれだけ紅いのだからきっと顔はもっと・・・そう想う伊角の顔は自然と緩んでいた。
「ねぇ伊角さん明日暇?」
火照りが落ち着いたのかヒカルはいきなり顔を上にあげるとそのまま伊角の方へと顔を向けた。
「はぁ?」
ヒカルのいきなりにはだいぶ慣れてきた伊角だがやはり唐突な事には驚いてしまう。
「ねぇ暇?」
「まぁ明日は手合いも指導碁も地方の仕事も無いしな。」
「じゃ暇なんだ。」
「まぁ暇と言えば暇だな。」
「伊角さんの明日の一日俺にくれない?」
いきなりの発言に伊角は歩いていた足を止めた。
伊角が止まった事に数歩歩いて気がついたヒカルは後を振り返り伊角の元へと駆け寄った。
そして立ち尽くしている伊角の顔を下から覗き込む。
「駄目?」
上目使いでそう言うヒカルはどこか寂しそうだった。
その表情を見て伊角はクスリと唇の両端を上げた。
「何泣きそうな顔してんだ進藤。」
そしてヒカルの頬に手をやり優しく撫でた。
「そんな顔してないよ。」
本当に無意識なのだろう。ヒカルには自分がどんな表情していたのかなんてわかっていないのだ。
伊角はその無意識な表情を自分にしか見せないヒカルをすごく大切に愛しく想っている。
伊角は頬を撫でていた手で頭を撫でて先刻の返事をした。
「いいぞ進藤。俺の明日一日をお前にやるよ。」
「本当?」
どういう目的でそんなこと言っているかなんて伊角にはどうでも良かった。
ただ本当にヒカルが嬉しそうに幸せそうに笑うから・・・承諾した。
「じゃ・・・夜の十二時きっかりに泊まりに行ってもよい?」
承諾したが・・・その言葉に伊角は頭を抱えた。
「なんでそうなるんだ。」
「だって一日ってことはやっぱ十二時からでしょう。」
訴えるような瞳で伊角を見つめるヒカルは真剣そのものだ。
「親には言ってあるのか。」
「うん。」
その返事に伊角は更に頭を抱えた。
「・・・よく許してくれたな。」
なかば呆れた感じで遠くを見ながら伊角は呟くように口を開いた。
「母さん伊角さんのこと気に入ってるからね。」
その言葉に喜んでいいのか・・・伊角は苦笑した。
「まぁいい・・・今日は親も弟達もいないから・・・」
「それじゃ十二時きっかりに伊角さん家に行くから。」
伊角の言葉を遮りヒカルはその場を去ろうとした。
「ちょっと待て進藤。」
ヒカルは足を止め伊角に再度駆け寄った。
「何?」
伊角はヒカルの両肩に手を置き問うた。
「行くって言ってるがお前俺の家の場所知ってるのか?」
その問にヒカルは暫し考えてニッコリと笑った。
「ん〜知らないや。」
伊角の中で必ず絶対今道順を教えてもヒカルはきっと迷うと確信された。
「・・・進藤家にいろ。」
「え〜なんで伊角さん家行く。」
「俺が十二時きっかりに迎えに行ってやるから・・・家にいろ。」
「本当に伊角さん。」
「あぁ。」
「じゃ俺家にいる。」
俺も甘いなと想いつつ伊角はヒカルを見送った。
「それにしてもなんで明日なんだか。」
その呟きは誰の耳にも入らず風の音に消された。
終了
平成15年4月17日